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愛と生を生きる

2015年秋新規がKinKi Kidsへの愛を語ります。Twitterは@lovelife77_k3

彼らの好きなところ

KinKi Kids

今日のMステ、「もう君以外愛せない」「薄荷キャンディー」よかった。

声は苦しそうだなとか感じる瞬間もあったけど、歌を聴いて心が揺さぶられるってそういうことじゃないものね。

Mステ終わってからずっとリピートしてて、眠れなくなってるんだけど。

KinKi Kids × バラード、やっぱり混ぜるな危険。

 

以下、Mステ前に書いてたものです。

若干タイトル詐欺入ってます。すみません。


ブログの更新がすっかり滞っていますが、10月に初めてのKinKiコンを経て、彼らの生の姿を見てしまうと、何て表現したらいいのか、何を表現したらいいのかわからなくなってしまって、中途半端な感想メモばかりがたまって、口を閉ざしていた、というのが正直なところでした。


素敵なご縁に恵まれて、アリーナツアーは北海道初日と福岡2日間、ドームコンサートは東京、大阪4日間参加できて、その間にはSONGSや紅白などたくさんの番組もあり、光一さんの連載での気になる一言もあり(解散の危機なんて誰にでもどこにでもある問題でしょうし、今は明らかにしても差し支えない状態だから言える話だと思うけど)、どうKinKi Kidsをとらえたらよいのか揺れ動き続けた、あっという間の3か月間でした。


もちろんライブに参加する前も、2人の姿はテレビや雑誌、ラジオで見て聞いて感じ取ってきたけど、実際にこの目で見ると、特に今回のアリーナツアー・ドームコンサートのセットリストの構成もあってか、決して一筋縄ではいかない、25年以上彼らが紡いできた楽曲、物語、関係性を強く感じて。


そして、顔ファンだろうと何だろうと宣言するけど、顔がよい(笑)。

私より可愛い(笑)。
(ま、KinKiファンはみんな顔ファンだから平和ですね)


どうやって今のスタイルに落ち着いたかは知らないけど、アリーナでもスタンドでも、チアシード席でもケツ見席でも(というのもKinKiファン用語ですよね、よく考えれば)どんな席でも、素敵な音楽と光に包まれて、2人の姿を見て声を聞いて存在を確認できるだけで幸せ、って、コンサートに参加してるみんなが幸せになれるこのライブのスタイル、さすが長年ドームでやってきただけのことはあるなと。


練りに練られた演奏と歌唱とダンス、音響と照明のハイレベルな技術、セットリストと演出、丹念な手仕事による麗しい衣装、博愛的なファンサと2人だけのおしゃべり、今ここにしかないグルーヴ感と空気感、スタッフやファンとの信頼関係…。
客観的な視点では、いろんな面で感心しつつも、主観的には可愛いかっこいい美しいとしか言葉が出てこない。


今のKinKi Kidsは、「KinKi Kids」という確固たるブランドイメージが2人にもスタッフにも共有されているから、些細なすり合わせやややこしい確認なんて必要としない状態なのかなと想像するんですよね。


もちろん、ふわっと投げかけたものが、こういうのもあるよ、と他から軌道修正されることはあるだろうけど。


しかも、確固たるイメージ、と書いたけど、がちがちに固定化されたステレオタイプなものではなくて。
「薔薇と太陽」でぶっこわしてきたり、「陽炎~Kagiroi」で深化させたり、「道は手ずから夢の花」で新たな一面を加えたりと、確かに芯はありながらもしなやかで自由度が高くて、それこそ剛さんの言うように「2人でやればそれがKinKi Kidsになる」という強い確信。


光一さんが近年のKinKiを「コンサバだった」と評し、解散を考えた時期もあったと語ったように、ある時期には存在しなかったそれが、いつどうやって生まれたのかは私たちには知りえなくて、想像するしかないことだけど。

(でも当時を知らず楽曲を聴いてるだけの私にも、アルバムから何となく伝わるものはあるかな。グループの方向性の迷いって楽曲の質じゃなくて、アルバムの構成に表れる気がするのが持論)


仕事人な2人も好きだし、ぐだぐだおしゃべりする2人も可愛いし、好きなところはいっぱいあるけれど、そんなKinKi Kidsを語るには…、彼らの関係性について、感じることはたくさんあるけど、外野の私がそれを語るのはおこがましいと思ってしまうのですよ。

 

外野だし、新規だし、知らないこと、話には聞いていても、その空気感を実際に感じ取ったわけではないことがいっぱいある。


生身の2人を見てしまうと、現実に生きている2人について、あーだこーだ憶測を繰り広げるなんて野暮だし、ナンセンスだし、自分の持ってるイメージを勝手に他人にあてはめるなんて嫌だなと。


そう感じたのは、11月のSONGSを見たからかな。
あそこまで客観的に自分達のことを見ている2人を知ってしまうと、何も言えない。


職業柄なのか性格なのかわからないけど、人を知る時に知らなくてもいいこと、わからなくていいこともあると思っています。
相手にとってもわかられたくない、わかられてしまえば、お互いにとても危うい世界に踏み込んでしまう領域があって。


だから、相手をわかろうとする時に、すべてを理解してるなんてことはありえないけれど、わからないけれど相手を尊重し、理解しようとすることは成立すると思っているのですが。


2人は、長い時の流れが残したものから、お互いのそれには踏み込まない関係を構築しているように感じる。
というより、この長い年月の間に、お互い踏み込み合わざるを得ない瞬間もあったからこそ、今は踏み込まないでいられる関係でいるのかなと想像したり。


芸能人として人前に立つ以上、物語として消費される部分も持ちあわせる存在であることは、2人も重々承知の上だろうし、自分もそうは言っても、他の人が語っているのを、「そうそう」とうなずいたり、「それはちょっと」と思いながら読んだりしてしまう悲しいファンの性は否定できないんですけどね。


けれど、何をどう見たとしても、何らかの視点で切り取られたものしか知りえないから、自分のエゴイズムを投映したような、行き過ぎたことは言いたくないな、と感じています。


と言いつつ、書いてしまったのですが。


好きになったきっかけは音楽だし、基本線としてはこれまで通り、彼らが差し出してくれる音楽から受け取れるものを言葉にしていきたいな、と、このブログについて、彼らについて、改めて考えました。
あ、ツイッターは変わらず愛でてるだけかな(笑)。